万学の祖 アリストテレス 「人の本性は知を愛する」

今回紹介する哲学者はアリストテレスです。

彼は西洋最大の哲学者とされ多岐にわたる業績から万学の祖とも呼ばれました。

 

では概要から

アリストテレスは、人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えました。ギリシャ語ではこれをフィロソフィアと呼ぶそうです。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味します。この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となったというのですからロマンチックですね。

著作集は形而上学倫理学、論理学といった哲学関係のほか、政治学宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学、詩学、演劇学、および現在でいう心理学なども含まれており多岐にわたる。アリストテレスはこれらをすべてフィロソフィアと呼んでいたそうです。アリストテレスのいう「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり、現在の学問のほとんどが彼の「哲学」の範疇に含まれていました。

幼少のころに親を亡くされたそうです。その後は義兄プロクセノスを後見人として少年期を過ごしました。

その後17歳にしてプラトンアカデメイアに入門しました。

そしてアカデメイアでの勉学をプラトンの亡くなるまでの30年を過ごしました。

アリストテレスは師プラトンから「学校の精神」と言われたこともあり時には教師としてアカデメイアに立ったとされています。

その後アカデメイアを去った彼はアカデメイア時代の学友のヘルミアスの招きに応じてアッソスの街へ移住し、ここでピュティアスと結婚した。

42歳頃、マケドニアフィリッポス2世の招聘(礼を尽くして人を招くこと)により、当時13歳であった王子アレクサンドロス(後のアレクサンドロス大王)の師傅(貴人の子弟を養育し教え導く役の人)となりました。

49歳頃、アテナイに戻り、自身の指示によりアテナイ郊外に学園「リュケイオン」を開設しました。

弟子たちとは学園の歩廊を逍遥(そぞろ歩き、散歩)しながら議論を交わしたため、かれの学派は逍遥学派(ペリパトス学派)と呼ばれました。

アレクサンドロス大王が没すると、広大なアレクサンドロス帝国は政情不安に陥り、マケドニアの支配力は大きく減退しました。

これに伴ってアテナイではマケドニア人に対する迫害が起こったため、61歳頃、母方の故郷であるエウボイア島のカルキスに身を寄せました。しかし、そこで病に倒れ(あるいは毒人参をあおったとも)、紀元前322年、62歳で死去しました。

 

感想

万学の祖や学校の精神、本性は知を愛するというところからわかるように彼は学ぶということが好きだったのでしょう。

自身の学校を創設してからも弟子たちと廊下で議論をするなど教えるもの好きで人格者だったことがうかがえますね。

私も学生時代は数々の恩師にも会いましたが彼ほどの知を愛した方は今のところいないと感じています。

 

以上で

万学の祖 アリストテレス 「人の本性は知を愛する」

の紹介を終わります。